智子の投稿集3
妻の投稿集、地元の山陽新聞へ掲載された投稿を集めたものです。題名は「木堂記念館」「ラップ止血」「平和の尊さ」「卒業式の言葉」などです。もう何年も前のものです。
心動かされた木堂記念館
企画展に引かれて岡山市川入にある 犬養木堂楽天 記念館に立ち寄った。JR新幹線の下の道に出された看板が、以前から気になっていた。入場無料なのもありがたい。
展示の中で、特に心を動かされたものが三つあった。嫁いだ末娘の信さんへ木堂が贈った書「敏於事而慎於言特其志無暴其気」である。事に勉めて言葉を慎み、志を堅持して気をそこなってはならない、という意味だそうだ。「恕」の心を大切にするよう孫娘の道子さんにあてた書も心引かれた。現在では、あまり見聞きすることの少ない言葉である。「己を推して他人に及ぼすこと。おもいやり、同情心」と辞書にあった。
そして、説明文にこんなところがあった。「世界的な視野を持つ木堂は、将来日本の進む道は軍事大国化になく、産業立国と善隣友好にあると強く提唱していた。特に日中関係を最も重要視していた」とあった。約百年後の今も潜水艦の問題が出ており、先人の知恵を生かす政治をしてもらいたい、と思うと同時にとても驚いた。
石川智子 53歳 2004年11月30日 山陽新聞朝刊 「ちまた」欄
切り傷にラップ止血、治療成功
正月二日の朝、不覚にも左人さし指を包丁で切った。傷は幅五ミリ、長さ八ミリで、そぎ切る形となった。出血に慌てて右手で押さえ、次にティッシュを二枚重ねて折り畳み、圧迫止血。その後、カットばんそうこうを張った。が、手を使うと、じわじわと出血して困った。
二日目に、良いことを思い出した。以前のテレビ番組で、すり傷に食品用ラップを張って、手当てしているスポーツ選手を取り上げていた。すり傷ではないが、よいかもしれないと思い、やってみた。傷口を消毒し、ラップを傷口より少し大きめに切って張り、その上にばんそうこうを張った。
次の日、消毒の時に驚いた。ばんそうこうをはがすと同時に、ラップも一緒にはがれている。傷口が痛くないし出血もない。子どものころの包帯交換を思い出した。血の付いたガーゼをはがすのが痛くて、消毒液で湿らせて少しずつはがしていた。
痛さ知らずで、十一日目には晴れてばんそうこうともお別れとなったが、今度はピンク色の傷が痛々しく目に入る。今年こそ心を落ち着けて物事に当たるように、という警告と受け止めている。
石川智子 53歳 2005年1月26日 山陽新聞朝刊 「ちまた」欄
平和の尊さを真剣に考えよう
「落葉帰根」を毎回読んで、スクラップしている。壮絶な事実は、読む者の胸をえぐる。戦争の恐ろしさ、愚かしさ、個の人間の無力さをあらためて教えてもらった。そして、戦争とは人間の尊厳を踏みにじるものだと。
戦争を知らない世代が読むことによって、平和のありがたさに気付き、平和について考え、どうやって平和を守っていけばいいのだろう、と考えるきっかけとなるだろう。
高校生の時、通っていた歯科の女医さんは、治療をしながら岡山空襲の悲惨な体験を語ってくださった。ある時は、目に涙をためながら。戦争を体験していない世代の人に、意図して語っているのだと言われていた。
戦後六十年経たが、平和だったからこそ今の日本の繁栄があると思う。イラクの荒廃した都市を見てそう思う。今も世界では、人種や宗教、政治の違いで、人間同士の争いが続いている。家族が、自身が、人間に銃口を向けずにすむように、平和の尊さについて一人ひとりが真剣に考えたい。
石川智子 53歳 2005年2月19日 山陽新聞朝刊 「ちまた」欄
卒業式の言葉興味深く読む
三月十八日、十九日付の本紙岡山市民版に、中学校と小学校の卒業式での校長のはなむけの言葉が掲載してあった。要約したものだったが、慈愛に満ちていた内容だった。そして、各校の日ごろの教育方針が垣間見えて興味深かった。
中でも私が感動したのは、森や花のつぼみに例えて話されていたものだ。中学生へ向けて、「森は競争、我慢、協力し合って成り立っていると言われる。どれが欠けても、一つが強くても、森の豊かさは失われる」という話。小学生へ向けては、「みなさんを花に例えると、美しい花を咲かせる準備をしているつぼみです。・・・世界に一つだけの自分の花を美しく咲かせてください」という話。
小・中学生にとって、イメージしやすくて印象に残ったものと思う。私も、卒業式に参加して聞かせてもらっているような気になった。こういう企画は、新聞ならではのものと思うので、今後とも続けていってほしい。
石川智子 53歳 2005年4月2日 山陽新聞朝刊 「ちまた」欄