私の投稿集8(母に感謝)

山陽新聞へ掲載された私の投稿集です。泉欄の「母に感謝」は、2022年9月3日に亡くなった母への思いを書いています。今まで、自己紹介のページにあった父母の記事もこちらへ移動しました。

母に感謝

2022年10月4日の山陽新聞朝刊に載った投稿の画像 母の写真(2021年10月)

先日、戦中戦後を必死に生きてきた母が他界し、気丈だと思っていた私も葬儀では泣けて仕方ありませんでした。

母は子どもの頃からの股関節脱臼が原因で両足とも人工関節の手術をしていました。家は農家だったので農業機械があまり普及してない時期は、農作物の運搬などで不自由な足を駆使していたのを思い出します。

また、農業や内職での収入は少なく、質素倹約に明け暮れていたように思います。食べるものは主に自給自足で、米や野菜を作り鶏やヤギや牛を飼っていました。子どものしつけは厳しく「一度口に入れたものはまずくても出してはいけない」とよく言われたものです。おかげで私たち子ども3人は何でも好き嫌いなく食べられるように育ち、質素倹約が身に染み付きました。

晩年には、人口股関節の片方が壊れ、外れた状態となりました。いけないと言っても隠れてつえを突いて歩いたり、野菜の収穫や草取りをしたりしていました。

苦労ばかりをかけた母も年には勝てず、99歳で天国に召されました。感謝しかありません。

石川大 73 岡山県矢掛町下高末 2022年10月4日 山陽新聞朝刊 「泉」欄

この母の写真は2021年11月に撮影したものです。

今は亡き父母の写真(チボリ公園にて)

チボリ公園での父母の写真

この時は父(85歳)、母(77歳)でした。初めて、倉敷のチボリ公園(今は無い)へ行った時のものです。

父は若い頃は 茅葺き楽天 屋根の屋根葺き職人でした。その後農業をしながら近くの会社に勤務をしていました。60歳を過ぎてから車の免許を取得して、各地のマラソン大会に出場していました。卓球が好きでした。

父は2018年12月1日に約103歳の天寿を全うして天国に旅立ちました。

母は、若い頃から股関節が悪くて、50歳代で両足人工関節にしていましたが、その片足も骨粗しょう症の為に人工関節を外す手術をしていました。身体障害者1級でした。そして、2022年9月3日に99歳で他界しました。

(撮影 2001年5月)