私の投稿集5

山陽新聞へ掲載された私の投稿集です。ちまた蘭の「立派だった父 天寿を全う」の記事は103歳で亡くなった父の事を書いています。泉蘭の随筆「父の100歳を祝う」は、父のこれまでの生き方なども書いています。ちまた蘭の「英会話の練習に励みたい」はグーグルのTCサミットに参加した時のことを書いています。

立派だった父 天寿を全う

2018年12月21日の山陽新聞朝刊に載った投稿

父は小学校を卒業後、屋根ふき職人として働き、戦争中は招集され中国大陸へ行きました。終戦後、近所の箸工場や電気部品製造工場などで働きながら、農業もしていました。60歳を過ぎて車の免許を取り、各地のマラソン大会へ出場したり、好きだった卓球をしたり、農業で身体を動かしたり、戦争中に覚えた中国語を勉強したりしていました。

父の長寿の秘訣は、酒や煙草を全くしなかったことだったそうです。それ以外に私が思う父の長寿の要因は、他人との争いごとを全くしなかった事ではないかと思います。他人ともめ事が起こっても、自分の主張を通したりせず、言われるままに従っていました。たとえそれが不合理な事であろうと、受け入れていたのは立派です。父は「他人をいじめる人には天罰があり、正しい人には神様のご加護が必ずある」とよく言っていました。

90歳を過ぎての白内障の手術以外、大病や入院したこともなかった父も先日、満103歳まで1ヶ月を残して天国に旅立ちました。

石川大 69歳 岡山県矢掛町 2018年12月21日 山陽新聞朝刊 「ちまた」欄

父の100歳を祝う

父の百歳のお祝いの様子

先日、入所している特別養護老人ホームで、父の百歳の祝賀会がありました。県と市、 老人ホーム楽天 、親族から祝福され、普段は温和で気丈な父でも感激して泣いていました。

父は尋常小学校を卒業後、厳格だった祖父のもとで家業の屋根ふき職人となりました。

戦争中は中国大陸に従軍し、戦後は家族を養うために近くの工場で働く傍ら、母や祖母とともに早朝と夜、農業をしました。

貧しかったが、身を粉にして働き、倹約もして私たちを大学まで行かせてくれました。

六十歳を過ぎて車の免許を取り、各地のマラソン大会へ参加。好きだった卓球をし、農業で適度に鍛えた体を動かしていました。戦争中に覚えた中国語の勉強にも熱心でした。

酒や煙草は全くせず、白内障以外は大病や入院もなく、元気で働き詰めだった父も96歳で重い肺炎になり、死のふちをさまよいました。しかし神のご加護か、先祖からもらった長寿遺伝子の影響か、奇跡的に回復しました。

今後は、苦労の連続だった日々から開放され、末永く楽しく元気に過ごしてもらいたいものです。現在、子供3人、孫8人、ひ孫16人に恵まれ、その来訪を楽しみにしています。

石川大 66歳 岡山県矢掛町下高末 2016年1月24日 山陽新聞朝刊 「泉」欄

英会話の練習に励みたい

グーグルTCサミット2015の様子

先日、米IT大手グーグルの各種事業の一般利用者の代表らが集う サミット楽天 が米サンフランシスコで三泊四日の日程で開かれ、全世界から約五百名が参加しました。日本からはグーグルのヘルプフォーラムで活動しているトップレベルユーザー十三名が参加、私を除いて若い方ばかりでした。

英話が苦手でも一部には同時通訳があり特に困ることはありませんでしたが、通訳のない行事では全神経を耳に集中してなんとか聞き取ろうとしました。サミット中、他国の人との交流も良い経験になりました。言葉がよく通じなくても日本語と英語を混ぜて身振り手振りでなんとか意思の疎通ができたと思います。

サミット後に自分で計画したアルカトラズ島への観光やゴールデンゲートブリッジを渡っての約三十キロのサイクリングなどを楽しみました。困った時や道に迷った時のたどたどしい英語でも親切に教えてもらえました。

更にスムーズな英語での意思疎通ができるように、また、二年後のサミットに向けて英会話の練習に励みたいと思っています。

石川大 66歳 自営業 岡山県矢掛町 2015年10月9日 山陽新聞朝刊 「ちまた」欄