津和野(つわの、山陰の小京都)

津和野は島根県鹿足郡津和野町のことで、山陰の小京都と呼ばれています。津和野の地名は「つわぶきの生い茂る野」由来するようです。津和野は、石州津和野三本松城の城下町として栄えた町です。

読売旅行が募集した日帰りバス旅行で津和野と長門峡の紅葉狩りに行きましたので旅行記をまとめてみました。(2009年11月15日)

所在地

島根県鹿足郡津和野町

交通

JR山口線、新山口駅より、列車かSL山口号(新山口~津和野間)で「津和野駅」へ(60~120分)

中国自動車道の六日市ICから津和野方面へ(約40分)

駐車場

各観光施設にあります。

電話

津和野町観光協会 0856-72-1771

地図 津和野駅付近の地図

石州津和野三本松城の絵図

石州津和野三本松城の絵図

石州津和野三本松城は、一本松と呼ばれる標高367メートルの山上にあり、国の指定史蹟となっています。吉見頼行公は1282年(鎌倉時代)に、元寇警備のため能登から西石見の追補使(地頭職)に任ぜられ、津和野城の建設に着手しました。1324年、二代吉見頼直の代に約30年をかけて本格的な山城を完成させました。

石州津和野三本松城跡の石垣

石州津和野三本松城跡の石垣

森鴎外旧宅の近くから見上げるように撮影しました。山の頂上に津和野城の石垣跡だけが見えました。三本松城とも呼ばれています。

備中松山城は 天守閣楽天 が復元されていますが、ここも備中松山城と似た山城だったのでしょうか。

太鼓谷稲成神社

太鼓谷稲成神社

津和野の町から城山の方向を見ると、太鼓谷稲成神社が見えます。安永2年(1773)に津和野七代藩主の亀井矩貞が京都の伏見稲荷を模して作ったものです。

東北の竹駒稲荷、関東の笠間稲荷、近畿の伏見稲荷、九州の祐徳稲荷とともに日本五大稲荷の一つに数えられています。

普通はいなりを「稲荷」と書きますがここでは「稲成」と書きます。年間の参拝者は100万人を超えるといわれています。ちょうど私達が行った時、何かの行事があるらしく、幟がたくさん立っていました。

森鴎外の旧宅

森鴎外の旧宅

ここは、国の指定史跡の「森鴎外旧宅」です。文豪、森鴎外は、代々津和野藩の藩医をつとめた家の嫡男として生まれました。

陸軍の軍医を経験した後、次々と小説を発表して小説家として有名になりました。(入場料100円)

「森鴎外旧宅」の南側に隣接して森鴎外記念館があります。

鴎外の生活や作品等の貴重な資料やマイクロフイルムに収められた約3,000点にものぼる書簡等を備えています。(入場料500円)

石州和紙で作ったメロディー和紙人形

石州和紙で作ったメロディー和紙人形

伝統工芸石州和紙会館の前にあった特大の石州和紙で作ったメロディー和紙人形です。特大、大、中の3種類が展示されていました。

特大のものは高さが約1mはあったと思います。

価格は1つが2,100円と書いてありました。他にも千代紙で作られた小引き出しや小物などがたくさん置いてありました。

かわいい模様の千代紙が、着物を華やかにしています。日本独特の千代紙を大事にしていきたいものです。

NHKラジオ、松江放送、津和野送信所

NHKラジオ、松江放送、津和野送信所

NHK松江放送局、津和野ラジオ送信所(島根県鹿足郡津和野町鷲原)

第一放送 999kHz 100W

第二放送 1359kHz 100W

森鴎外の旧宅の対岸にあった中波ラジオ放送の送信アンテナです。よく見ると頂上に容量環があります。(頂冠空中線とも言います)

これはアンテナの対地容量を増やして、アンテナと送信機に直列に入れてあるコイル(延長コイル)と共にアンテナの共振周波数を低くして、アンテナを等価的に長く見せることができます。つまりアンテナ本体を短くしてもあまり性能が落ちないようにできるのです。

また、容量環はアンテナ先端部の近くの高周波電流を増加させる効果があり、電波の打ち上げ角度を低くして、電波を遠くに飛ばしたり、電波が強くなったり弱くなったりする(フェーディングという)のを軽減する効果があります。接地型アンテナの一種です。

中心の赤白に塗装された柱はアンテナの本体です。多数のステーを張って本体が倒れないように支えていますがステーに電波が乗らないようにする為、所々に碍子(がいし)を入れて絶縁してステーの長さを短くして電波が共振しないようにしています。

アンテナの下の地中には接地極と地線接地(放射状接地、ラジアルアースとも言う)と呼ばれる接地線を中心から放射状に張り巡らしています。これは電波の放射効率を良くする為です。

その他の津和野の名所

津和野町殿町通り

静かな山懐に抱かれた津和野の城下町としての約七百年の伝統を持った面影はとても魅力ある街です。石見瓦としっくいの土塀が両側に続く殿街通りは、津和野の中でも特に景観に優れていて、江戸時代を思わせる町並みとなっています。

ここにはカトリック教会や郡庁跡、藩校養老館跡等、数多くの史跡が集まっていて、郷土館にも近いので津和野で一番人気のある通りとなっています。

白壁と格子戸の前を流れる小川に色鮮やかな鯉が泳ぎ、初夏は菖蒲が咲き乱れる様は、訪れる旅人の目を楽しませてくれます。どこか倉敷の美観地区にも似た風情も感じさせます。

乙女峠マリア聖堂

マリア聖堂は、キリシタン殉教の地である乙女峠に建つ聖堂です。(昭和26年建立) キリスト教が厳禁だった明治元年、長崎から送られてきた153人の隠れキリシタンは、津和野藩の改宗の勧めに応じず、拷問によって36人が殉教しまし た。

その際、日本で唯一、聖母マリアが降臨されたと言われています。 ステンドグラスにはその悲しい様子が描かれています。ひっそりとした地にある小さな聖堂が、殉教者の無念を超えた感情を偲ぶのには最高の場所です。