福武家住宅2(岡山県矢掛町)

福武家住宅は矢掛町横谷にあり県と町の重要文化財となっています。江戸時代から明治時代にかけて建てられた昔の庄屋で豪農だったので襖絵や屏風の書や水墨画などの文化財が多くあります。鉄砲や塀に開けられた銃眼なども見どころです。

屏風に書かれた書と鉄砲

屏風に書かれた書と鉄砲

福武家住宅の母屋の西側部分にある部屋には屏風に書かれた書が展示されていました。

そのそばに、鉄砲(火縄銃か)も数丁展示されていました。これも屋敷の警備に使用されたのでしょうか。

福武家住宅の主屋や長屋門は県の重要文化財となっていて、その格式の高さから天保7年頃の建築と考えられています。そのほかの建物は矢掛町の重要文化財となっています。

水墨画の大きな掛け軸と香炉

水墨画の大きな掛け軸

この 水墨画楽天 の大きな掛け軸と香炉も主屋の西側の部屋にありました。大きな屋敷なので、部屋数が多く、何部屋あったのか記憶できない程でした。

この住宅は築約200年ということです。二階の物置や小屋裏も上ってみました。見えない所には古材が再利用されて使われているようでした。

また、土間は前・中・奥と3つの広いものがあり、勘定部屋も保存されていて、大庄屋の仕事をうかがうことができます。

台所には調理用の薪で炊く「クド」もあり、私の子供の頃と同じようで懐かしく見ることができました。

福武家住宅の井戸

福武家住宅の井戸

福武家住宅の主屋の南の庭には釣瓶の付いた井戸がありました。昔はどこの家にもこのような井戸があったのですが、今では井戸を覆う建物まで残っているのは珍しいと思います。

石で作られた井戸枠と井戸の流しは農作業から帰った人々が手足や身体や野菜などを洗ったのだろうと想像されます。

塀に開けられた銃眼(狭間)

塀に開けられた銃眼(狭間)

福武家住宅を囲む土塀には、お城にあるような銃眼が幾つもありました。お城以外でこのようなものを見るのは初めてでした。このような警備が必要な程のお宝があったということでしょうか。

戦国時代なら弓矢を使ったのでしょうが、これは鉄砲(火縄銃)用でしょうか。土塀に白く漆喰まで塗られています。

銃眼の形は四角形ばかりではなく、屋敷の南側には三角形のものもありました。

福武家住宅北東(外側)の高札場

福武家住宅北東の高札場

この写真は、福武家住宅の外側の北東方向にある高札場です。

高札場とは、江戸時代にこの地区の支配者が、法度や掟や罪状などを庶民に伝える為に、木札などを交通量の多い辻などに掲げた場所のことを言います。

この高札場は矢掛町で唯一残っているもので、本来はこの位置より北に約20m行った地点にあったそうです。

福武家住宅には、ここで掲げられた高札が今も残っています。

矢掛町横谷1809福武家住宅周辺の地図