矢掛本陣(岡山県矢掛町の殿様用の宿)
矢掛町は江戸時代の参勤交代の頃、旧山陽道の第18番目の宿場町として栄えました。矢掛には本陣(石井家)と脇本陣(高草家)の両方が共に国指定の重要文化財として残っていて、これは全国でもここにしかありません。矢掛本陣は天璋院篤姫が宿泊したことがわかり最近有名になりました。
矢掛本陣の外観
本陣は矢掛宿の山陽街道の南側に位置していて、小田川とに挟まれています。広さは約1000坪です。現在は南側の小田川の堤防にバイパス用の道路ができています。
この写真は、矢掛本陣の外観です。右側の門が御成門で殿様専用の入口です。左側の入り口が造り酒屋の入り口で、現在は観光用の入り口となっています。
街道に面した間口は約20間(36m)で、この宿場町では第一の規模です。
矢掛本陣に残されている宿札
この写真は、この本陣に宿泊したり小休止した宿札です。一番下に「宿」とあるのが宿泊で、「休」とあるのが休憩したものです。
この宿札は予め行列が到着する前に持参したり、石井家の当主が作成したもののようです。
宿泊した大名は年平均14家で、西中国の萩、石見、安芸と九州の唐津、肥前、筑前、筑後、薩摩の各大名です。
大名行列は、総勢約500~600名で、宿場町全体に分散して宿泊しました。
薩摩藩の島津家から徳川に嫁入りした天璋院篤姫もここに宿泊したとの情報が、NHKの大河ドラマ放映中に見つかり、矢掛名物の柚べしを大量に購入したそうです。
上段の間(お殿様用の部屋)
御成門の奥には本陣屋敷があり、その玄関から帳場、広間、三の間、二の間、次の間があり、その奥の一段高い部屋が大名などが宿泊や休憩をした上段の間です。
8畳の上段の間には、お床と 違い棚楽天 があり、欄間には「ぶどうとリス」が彫刻されています。
この部屋の外には畳敷きの廊下があり、その南には嵐山を借景とした中庭があります。その南に、湯殿、化粧の間、雪隠が昔のままに残されています。
矢掛本陣に残されている道中風呂とその収納箱(薩州様用)
本陣の南東方向の酒蔵の中には、薩摩藩専用の風呂桶とその収納箱が展示されていました。
通常は大名行列で道中風呂を持参するようですが、薩摩藩は道中風呂を本陣に置いていたそうです。
酒蔵にある絞り場(酒を絞る道具)
酒蔵の一番南に、酒作りの為の絞り場がありました。テコの原理で強い力で絞って酒を作ったのかなと思いました。
別の所で醤油を作っている蔵を見学したことがありますが、同じような物があったと思います。
他に、米倉や麹室などがあり、姫様用のお籠なども展示されていました。