近江八幡、安土八幡の水郷と八幡山
近江八幡市は滋賀県中央部にあります。北東部に広がる西の湖は、ヨシ原の湿地帯で水郷と呼ばれています。近江八幡市の周囲は古くから琵琶湖の東西交通として栄えていました。湖岸には広大なヨシ原が残っていてヨシズ等に加工されます。
安土八幡の水郷と八幡山の由来と歴史
戦国時代の天正13年(西暦1585年)には豊臣秀次が八幡山城の麓に城下町を開きました。西の湖を経て琵琶湖に至る八幡堀を作ったことで有名です。この頃より楽市楽座などの自由な交易が行なわれて、八幡堀に沿って廃城以後も発達してきました。
八幡城の廃城と八幡商人が誕生した経過
1590年(天正18年)小田原征伐の功績によって豊臣秀次は100万石の尾張清洲城に移りました。その後、八幡城には京極高次が城主となりました。
1595年(文禄4年)京極高次が大津城に移ると八幡城は廃城となりました。この年、豊臣秀次は豊臣秀吉によって高野山で切腹させられました。
この為、城下の商人は、城からの庇護や特権を失い、天秤棒をかついだり、商隊を組んで全国に行商に出かけたりして新しい市場を自分で開拓していきました。このようにして近江八幡は商人を中心とした町に生まれ変わったのです。
安土八幡の水郷と八幡山へのアクセス
近江八幡駅へは、米原駅からJR琵琶湖線で約20分、京都駅からJR琵琶湖線で約30分です。
近江八幡市街へは、東名高速竜王インターチェンジから約20分です。
近江八幡付近の地図安土八幡の水郷
水郷めぐりと遊覧船
ここは茨城県の潮来、福岡県の柳川と並ぶ日本三大水郷めぐりの一つです。この船は水郷めぐりの遊覧船です。屋根と窓があって船外機付きの16人乗りでした。料金は1人2100円でした。
長命寺川をさかのぼって西の糊まで行きます。全工程約12kmを1時間程度でゆっくり巡ります。
西の湖へ出る
長命寺川を上って行くと「西の湖」に出ます。昔はこの東に安土内湖、伊庭内湖があったのですが、全て干拓されて現在はありません。この為一番西にあった「西の湖」が残ったとのことです。水深は約1.5mとのことでした。
湖岸には広大なヨシ原(葭原、よしはら)が残っていてヨシズ等に加工されるそうです。この葦(ヨシ)は 機械楽天 で刈り取って加工にまわされます。後に残ったくずの葦や雑草は害虫とともに焼き払われて毎年きれいな葭原(よしはら)となるそうです。
この写真のように西の湖の東には、北から安土山(199m)と繖山(きぬがさやま、観音寺山、433m)が見えます。
長命寺川の途中にあった巨大な水門
長命寺川の途中にあった巨大な水門です。立派な建物が水門の上にあります。何に使うのでしょうか。地域の集会場にしては立派すぎます。
八幡山(八幡城)へ登る
八幡山のロープウェー
八幡山のロープウェーです。定員25名、大人往復700円、山麓から山頂まで約4分で行けます。山頂には八幡城跡と瑞龍寺があります。
八幡城は1585年(天正13年)豊臣秀次によって築城されました。標高約272mの八幡山最頂部に本丸を作り、二の丸、西の丸、出丸が配置されていました。現在は石垣のみ残っています。
本丸跡には瑞龍寺が建っています。この寺は、1596年(文禄5年)豊臣秀次の生母(秀吉の姉)日秀尼公により、秀次の菩提を弔うために京都の村雲に建てられました。1961年(昭和36年)に京都からこの八幡山に移築された日蓮宗のお寺です。
山頂から東側の眺望
山頂からは四季折々の琵琶湖、西の湖、旧城下町等が見渡せます。この写真は山頂から東側を見たものです。西の湖と安土山と繖山(きぬがさやま)と近江八幡市街が見えます。
近江八幡市街地は道路が碁盤の目のように配置されています。一般的に城下町の市街地は外敵の侵入を拒む目的で、道路が複雑に入り組んでいるのが普通です。
このようになった理由は近江八幡の商売を優先したからだと言われています。
撮影 2007.04.20