福武家住宅1(岡山県矢掛町)
岡山県小田郡矢掛町横谷にある古い庄屋跡の福武家住宅は県と町の指定の重要文化財となっています。普段は閉鎖されていますが、11月に2日間だけ公開されていましたので見に行って来ました。
東向きの母屋の玄関
岡山県小田郡矢掛町横谷にある福武家住宅は、戦国時代の武将の対馬守元重を先祖に持つ代々の庄屋でした。
福武家は横谷を中心に多くの田畑を所有していた豪農でした。その為、住宅はとても立派で、大名屋敷を思わせる程の広々とした屋敷の作りと調度品の数々がありました。
福武家住宅は約4700平方メートルの屋敷を土塀で囲み、母屋(主屋)、長屋門、湯殿・厠、土蔵、水見櫓などの建物が残っています。これらは江戸から明治時代に建てられたものです。
この写真の母屋は厨子2階建ての入母家造りの瓦葺きで東側に式台玄関があります。苔むした立派な庭に面しています。
水墨画で描かれた襖絵
母屋の南東側の入り口を入った部屋には、水墨画で描かれた襖絵がありました。
これを見ても、この辺りの普通の屋敷ではないのを伺わせています。
東側の玄関付近には数寄屋風に作られた5つの部屋が配置されていました。
警備の為の槍の数々
襖の上の部分には大きな槍が何本も掲げてありました。大きな立派な屋敷なので、 警備楽天 の為に必要だったのでしょうか。
そう言えば私の古い家にも子供の頃にはこのような槍が一本あったような気がします。
違い棚と床の間と水墨画
東側の玄関を入った辺りの部屋にあった、違い棚と床の間と水墨画です。とても立派な物に見えます。
福武家は天保7年(1836年)に庭瀬藩の板倉領の大庄屋となりました。嘉永2年(1845年)の福武仁吉の時に庭瀬藩主の徒士小姓に任ぜられたとの事です。
また、足守藩の家老の木下家や早島の溝手家や和気郡の大庄屋の大國家などと婚姻関係があり、この地域の豪農の地位を保っていました。
湯殿の風呂桶
母屋の北東の付近にあった、湯殿の風呂桶です。別の所で沸かした湯を運んで来て、この風呂桶に入れて使ったのでしょうか。暗い部屋になっていました。この西側が厠になっていました。
湯殿と厠は主屋とは別棟になっていました。これは火災予防の観点からと思われます。