大吉備津彦命の墓(吉備の中山茶臼山古墳)

岡山駅から西に約5km行った所に標高162.2mで、周囲約8kmの山があります。これを吉備の中山と言います。最高峰は北端の竜王山で標高170mです。この近くに天柱岩があります。吉備の中山のほぼ中央に宮内庁管理の第七代孝霊天皇の皇子の大吉備津彦命の墓があります。

この山の中にはほとんど人家が無く、夜は特に寂しい所です。他に黒住教の本部があります。

大吉備津彦命の墓(吉備の中山茶臼山古墳)の由来

第七代孝霊天皇と三人目の夫人との間には、四人の子供が生まれました。三番目が大吉備津彦命(おおきびつひこのみこと)です。異母から生まれた弟で、若日子建吉備津彦命がいました。

古事記に大吉備津彦命が若日子建吉備津彦命と共に吉備の国(鬼の温羅)を攻めたことが書いてあります。これが桃太郎伝説の元となっています。

備中神楽に高天原の勅使としての経津主命(ふつぬしのみこと)、武甕槌命(たけみかづちのみこと)の両神が、荒鬼の建御名方命(たけみなかたのみこと)と、激闘の末これを平定して国土奉献が完了するシーンがありますが、これも古事記に記載された話の発展形のようにも思えます。

大吉備津彦命の墓(吉備の中山茶臼山古墳)へのアクセス

山陽本線庭瀬駅の北約3kmにあります。庭瀬駅より車で約10分

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大吉備津彦命の墓の案内板

大吉備津彦命の墓の案内板

宮内庁管理となっている第七代孝霊天皇の皇子の大吉備津彦命の墓です。(通称、吉備の中山の御陵)

この古墳は古墳時代前期の3世紀後半から4世紀頃に築造されたと考えられています。全長は約120mで、後円部直径は約80m、後円部の高さ約12m、前方部の長さは40mです。

宮内庁の管理なので立ち入り禁止となっています。しかし、真北側に回ってみると、柵はありませんでした。

大吉備津彦命の墓(吉備の中山茶臼山古墳)

大吉備津彦命の墓

この古墳の東の少し下がった所に八徳寺があります。小さくてひっそりとした山寺です。一人で行くと寂しいところです。

一日置きに早朝ウォーキングでこの山に登っています。この山の北西の吉備津神社と北東の吉備津彦神社にも大吉備津彦命は祀られています。桃太郎伝説の主人公の 桃太郎楽天 とも言われています。

吉備の中山にはこの他にもいくつもの古墳があります。古代からの歴史あるところです。

撮影 2004.04.21、場所 岡山市吉備津と尾上の境

吉備の中山の鯉のぼり

吉備の中山の鯉のぼり(黒住教)  吉備の中山を東西に横切る道路を上がっていくと、黒住教の本部があります。

この黒住教の駐車場の西の古墳への坂の途中に鯉のぼり群がありました。毎年鯉のぼりを吊るせるようにワイヤーで設備がしてありました。新緑に映える鯉のぼりは壮観です。早朝散歩で見つけました。

撮影 2004.04.21 場所 岡山市尾上

穴観音(吉備の中山茶臼山古墳の北東)

穴観音の写真

大吉備津彦命の墓(吉備の中山茶臼山古墳)の北東のうっそうとした木々に囲まれて昼間でも暗い所にこの穴観音があります。(一人で行くと気持ち悪いですよ)

主石と考えられる自然石(花崗岩)の正面を舟形に彫り沈めて仏像を半肉に現し、石の左側面には口径20cm、深さ16cm、底径4cm程の穴があります。仏像も穴も現状が判らない程風化して、痛みも激しい。

昔からの言い伝えで、側面の穴に耳を当てると、観音様のお声が聞こえるという俗信仰があって、昔から縁日には参拝客が多いそうです。

この岩石群は茶臼山古墳の築造時(5世紀頃)からこの位置にあり、原始的祭祀行事の場と思われ、正面の仏像は観音菩薩ではなく大日如来像との情報が案内の立て札にありました。

鼻ぐり塚方面と吉備津彦神社方面への道

ここから少し北へ行った所で、左へ行くと吉備の中山の北の「鼻ぐり塚」方面への道と、右へ行くと吉備津彦神社方面への分かれ道になっています。

左に行くと、福田海に下りる途中に大納言藤原成親のお墓があります。このあたりも昼でも暗く寂しい所です。そこからしばらく行くと、高麗寺の仁王門跡に着きます。福田海の鼻ぐり塚はもうすぐです。

先程の分かれ道を右へ行ってしばらく行くと、途中に巨石群が2箇所あります。分かれ道から吉備津彦神社までは約1.1kmです。