故宮博物院(紫禁城)
北京市の故宮博物院は、中国の皇帝の宮殿(紫禁城)の場所を博物館にしています。日本で言えば皇居のようなものです。大部分の所蔵品は文化大革命時に破壊されたり、蒋介石によって台湾へ持ち出されました。
読売旅行が募集した4日間の格安の北京旅行に行ってきました。「明の十三陵」と「万里の長城」と「頤和園」と「故宮博物院」と「天壇公園」の5つの 世界遺産楽天 を巡りました。(2010年6月)
故宮博物院(紫禁城)へのご案内
所在地 |
北京市中心部 |
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交通 |
北京市の中心天安門広場の北にあります。地下鉄天安門東駅から徒歩5分 |
歴史と 特徴 |
故宮博物院は、紫禁城(しきんじょう)とも呼ばれ、中華人民共和国の北京市にある明清朝の旧王宮の歴史的建造物のことです。「北京と瀋陽の明・清王朝皇宮」としてユネスコの世界遺産(文化遺産)となっています。面積は 725,000平方メートルで、世界最大の宮殿の遺構です。部屋数は全部で8704室あり、皇帝が毎日別の部屋で生活したとしても23年以上かかります。 |
故宮博物院(午門)
この建物は1420年に創建された午門です。天安門から北へ行った紫禁城の南門です。午門の名前は、午(うま)の方角、つまり宮殿の南の方角にある事から名付けられました。
この門の入口は全部で3箇所あります。中央の門は皇帝限定で、皇帝が出入りする時以外は閉められていました。左右は貴族や役人の通路になっていました。現在はどこから入ってもかまいません。
この門の特徴は、コの字型に両翼がせり出した独特の形をしています。午門に囲まれた広場では百叩きの刑などの刑の執行が行われた場所ともなっています。映画「ラストエンペラー」で自転車に乗っている溥儀が止められたのもこの門です。
太和殿(たいわでん)
午門から太和門を抜けると太和殿(たいわでん)に入って行きます。紫禁城を居城とした明、清両王朝の歴代皇帝の即位式や万寿節(皇帝の誕生日)や元日や冬至等の祝時や重要な宮廷の式典を行なった宮廷で最も重要な建物です。
式典が行われる時には、太和殿前の広場に官吏たちがずらっと並んで三跪九叩頭(さんき きゅうこうとう)の礼を行ないました。
太和殿は現存する中国最大の木造建築で、高さ35m、幅約63m、奥行き約33mあります。数ある紫禁城の建物の中で一番大きいようです。(日本の東大寺の大仏殿は高さが46.1m、正面から見た横幅が57.0m、奥行きは50.5mですから、大仏殿の方が大きいようです)
玉座の上には大玉が吊るされていて、皇帝として不適格の者が座ると玉が落ちてくるという迷信があり、袁世凱は、わざわざ玉座をずらして座ったそうです。
保和殿の屋根の上の装飾
午門、太和殿、中和殿、保和殿等の屋根には全て装飾瓦が施されています。これらの屋根の上には日本で言うと鯱鉾(しゃちほこ)のような巨大な龍(正吻という)が置かれています。4方の屋根の尾根の先端には仙人が鳳凰に乗った瓦があり、その後には数種類~10種類の動物(神獣)の瓦が置かれています。
その後には龍の上半身が置かれていて、傍吻(ぼうふん)というそうです。これらは魔よけの目的らしく、中国や韓国の建築物にはよく見られます。日本ではあまり見ることがなく珍しいので撮影してみました。これらの屋根瓦の色は黄色をしているのが特徴で、この色は皇帝のみが使用できました。
軒下の先端にも龍頭のような装飾があります。これは、套獣と呼ばれていて、隅木に被せて保護しています。
御花園(ぎょかえん)
紫禁城最大の花園で楼閣がある他、堆秀山という山があります。これは太湖石の築山で重陽節にここで観月をしたらしい。
紫禁城を居城とした明、清両王朝の歴代皇帝が、后妃達と遊楽したという場所となっています。
上海の近くの庭園(豫園)でも見ましたが、これ程立派な太湖石は見たことがありませんでした。
神武門(じんぶもん、しんぶもん)
清朝の康熙帝以前の名称は玄武門と呼んでいました。紫禁城の北門となっています。現在は故宮博物院の正門となっています。「故宮博物院」額が掲げられています。
この北側が影山公園となっています。影山公園は、明、清代の皇帝の庭園となった山です。明代に紫禁城を作った時、元の宮殿であった延春閣の跡地に、堀を掘った残土を積み上げて五つの峰を形成する形に作られました。中国はやることが大きいですね。
紫禁城に殺気が入ることを防ぐために、紫禁城の真北に作られたと言われています。これは背山面水という風水の考え方からきています。