明の十三陵(万歴帝陵墓の定陵と地下宮殿)

明の十三陵(みんのじゅうさんりょう)は、北京市昌平区天寿山にある明代の皇帝、后妃の陵墓群で、永楽帝以後の皇帝13代の皇帝の陵墓があります。この中の定陵は発掘されて地下宮殿として内部を公開しています。世界遺産「明・清王朝の皇帝墓群」の一部です。

明の十三陵(定陵)

読売旅行が募集した4日間の格安の北京旅行に行ってきました。「明の十三陵」と「万里の長城」と「頤和園」と「故宮博物院」と「天壇公園」の5つの 世界遺産楽天 を巡りました。(2010年6月)

ここは明の十三陵の中の定陵です。ここに来ると「エンジュ」の木がたくさんあります。ヤナギやシダレザクラなどと同じように枝が垂れながら育ちます。

この枝が龍(竜)の爪のように見えることからリュウノツメエンジュ(龍爪槐、竜爪槐)とも呼ばれています。竜の爪は中国では好まれていて、皇帝の屋敷にはよく植えられていました。

とにかく広大な土地なので、観光には体力がいります。運動靴で行った方が良いでしょう。

明の十三陵(定陵と地下宮殿)へのご案内

明の十三陵の配置図
所在地

北京市昌平区、燕山の支脈の天寿山の麓にあります。

交通

北京市の中心から北西へ約50km

歴史と
特徴

15世紀初頭の明朝の3代皇帝「永楽帝」から7代皇帝を除く、16代皇帝まで13人の陵墓が散在しています。現在一般公開されているのは、「永楽帝」の陵墓の「長陵」と隆慶帝の陵墓「昭陵」と、この14代皇帝の「万歴帝」の陵墓「定陵」だけです。この定陵の特徴は地下約30mに作られた地下陵墓にあります。

この図は、明の十三陵の配置図です。三陵の南端にある最初の建築物は、6本の柱と5つの門の「石碑坊」です。その北に三つの門をもつ「大紅門」があり、これが陵園の正門となっています。これらの北約7kmの所に明の十三陵と呼ばれる「陵園」があります。広さは約40平方キロメートルもありとても広大なものです。

明の時代の276年間には全部で16人の皇帝が居ました。その中の13人の皇帝がこの天寿山に埋葬されています。

明の十三陵は、成祖・永楽帝の長陵を中心として、その他12の陵墓がその周辺に点在しています。陵墓の大きさは全て異なっていて、その規模から皇帝の生存期の歴史的背景や暮らしぶりや性格などがうかがえるそうです。

定陵の地下宮殿(棺床)

定陵の地下宮殿(棺床)

これが定陵の地下宮殿で皇帝の棺が安置されていた棺床です。奥の「金井」と書いてある手前にレンガ1つ程の小さな穴があり、ここから魂が地下を通って昇天するそうです。

地下宮殿(棺床)の周りには日本で言う賽銭として、たくさんの紙幣が投げ込まれていました。日本のように賽銭箱はなく、地面に投げられています。とても見苦しいものです。賽銭箱を置いたらどうでしょうか。

この地下宮殿は、総面積1195平方メートル、前殿、中殿、左配殿、右配殿、後殿(后殿)の5つの部屋で組み合わされています。地下宮殿には柱や梁が全く無く、天井は高さが7〜9.5mで石をアーチ型に組んだものです。

定陵の地下宮殿(皇帝と后妃の棺と副葬品)

定陵の地下宮殿(皇帝と后妃の棺と副葬品)

ここは後殿(后殿)で柩などが安置されています。この写真の奥の大きいのが神宗皇帝と孝端、孝靖という二人の后妃の棺で手前の小さいのが副葬品を入れた24個の箱です。しかし、これは全てレプリカです。

この地下墳墓からは、これまでに貴重な副葬品や遺骨など貴重な歴史的資料が数千点発見されているそうです。この地下墳墓は、床、壁面そして高い天井に至るまで全て大理石で作られています。

また、その作りは精緻で壁面は寸分の狂いもなく石が積み上げられています。また天井部は見事なアーチを描いています。どのようにして作ったのか興味のあるところです。

この大理石を贅沢に使用した定陵の建設が、後年になって、明の財政をひっ迫させたともいわれています。

定陵の地下宮殿(孝端皇后の座)

定陵の地下宮殿(孝端皇后の座)

地下宮殿の中殿には、孝靖皇后、孝端皇后、万暦皇帝の漢白玉製の宝座が三つ置かれていました。宝座には、鳳凰と竜が彫刻されています。これは、大理石で作られた孝端皇后の座です。とても立派なものです。

地下宮殿(地下陵墓)が完成した時、皇帝とその関係者がここで何日も宴会を開いたそうです。墓で宴会とは日本では考えられませんね。

文化大革命の時、紅衛兵がこの陵墓の文化遺産の多くを打ち壊したり、玄室に納められていた宝石・貴金属・家具・調度品等を持ち去ったとのことです。この時、皇帝と皇后の亡骸も焼き払われたそうです。

定陵の地下宮殿(出口)

定陵の地下宮殿(出口)

入り口近くから出土した石碑のようなものに書いてあった情報によって、1956年に考古学者らが定陵の試掘を始めました。その石碑には「この石より、下へ三丈五尺、前へ十六丈行けば、金鋼石に至る」という文字が刻まれていたそうです。約1年の歳月を経て分厚く強固な壁の中に、墓室の「玄宮」に入るためのアーチ型のこの門(奥のアーチ)を発見しました。

今は見学の出口になっていますが、これがその入口です。奥に見えるアーチ形の門の手前の石を取り除くのに何日もかかったそうです。手前のアーチは後で作ったものです。ここは地下27mもあり、作るにも発掘するにも大変な仕事量だったのでしょう。

この奥には大理石で作られた大きな石の扉がありました。大きくて重い扉ですが、軽く開けられる工夫がしてありました。また、地下宮殿の扉を外側からは開かないように締め切ったとされる石の閂(かんぬき)も展示してありました。当時の建設技術に驚くばかりです。